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収蔵品紹介
| 屋外展示 1 千本杵搗(せんぼんきねつき) |
陶磁器の製造で、長石・珪石・粘土は原料三要素といわれ、長石や珪石は岩石質ですから、紛砕して用いなければなりません。この岩石を紛砕する仕事を、美濃地方では石粉はたきといいます。始めは、人が原料となる岩石を、杵や槌で砕いていました。これを手搗といいます。水車の力を利用した杵で砕くことを、千本杵搗と呼んでいます。この千本杵搗の原理は、回転の力を組み合わせたもので、水車の回転する軸を長く伸ばし、ハネ木を何本も付け、ハネ木の数だけ杵を取り付けます。そして、ハネ木が回転して杵を持ち上げ、回転を利用して持ち上げた杵がハネ木からはずれ落下し、その杵の重さで岩石を砕く仕組みになっています。杵の数は名前の由来のように千本もなく、多いものでせいぜい30本程度であったそうです。 千本杵搗は、嘉永3年(1851)稲津町(瑞浪市稲村町)興徳寺住職・恭邦和尚、庄屋・和田亀右衛門らによって創案され、製土業における産業革命が行われました。 |
| 西浦焼(西浦円治) / にしうらやき(にしうらえんじ) |
明治年間(1868~1911)多治見市の西浦で焼かれ、販売されたやきものをいいます。初めは細密画による染付磁器、中頃は上絵製品、その後は色絵吹き絵による優れた製品をつくり、広く海外までその名を知られました。 |
| 加藤五輔 |
天保8年(1837)市之倉(多治見市)で出生。大正4年(1915)没。五輔といい、染付の細密画が得意で、明治12年(1879)のパリ万国博覧会に花瓶を出展し優秀賞を受けました。その後、優れた染付製品をつぎつぎに作りました。 |
| 与左衛門の茶壷 |
この茶壷が焼かれた窯は、瑞浪市陶町大川地区にあります。室町期、文明7年(1475)、加藤左衛門尉景信によって開窯されたと伝えられています。安土桃山期、天正2年(1574)に、織田信長の朱印状が大川窯に下されました。
この窯の4代目を継承した羽柴与左衛門景度によって作られたもので、底面には与左衛門の銘と、くるみ印がhaはっきりと見られます。底面より脛、胴部をへて肩先へかけての豊かな膨らみ、肩には土を撚って付けた4ヶ所の力強い耳、ぐっと立ち上がった脛から口造りの捻り返しの見事な仕上がりは、作り手の技倆の高さが想像できます。 表面の、鉄釉に灰釉をかけて黄色くなだれている様子、桃山期の大窯で焼かれた作品として、大きさ、姿形の良さは一級品です。数百年を伝世した歴史からくる作品の迫力をご鑑賞ください。 尚、昭和54年に瑞浪市の文化財として指定されました。 |
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陶磁器の製造で、長石・珪石・粘土は原料三要素といわれ、長石や珪石は岩石質ですから、紛砕して用いなければなりません。この岩石を紛砕する仕事を、美濃地方では石粉はたきといいます。始めは、人が原料となる岩石を、杵や槌で砕いていました。これを手搗といいます。
明治年間(1868~1911)多治見市の西浦で焼かれ、販売されたやきものをいいます。初めは細密画による染付磁器、中頃は上絵製品、その後は色絵吹き絵による優れた製品をつくり、広く海外までその名を知られました。
天保8年(1837)市之倉(多治見市)で出生。大正4年(1915)没。五輔といい、染付の細密画が得意で、明治12年(1879)のパリ万国博覧会に花瓶を出展し優秀賞を受けました。その後、優れた染付製品をつぎつぎに作りました。
この茶壷が焼かれた窯は、瑞浪市陶町大川地区にあります。室町期、文明7年(1475)、加藤左衛門尉景信によって開窯されたと伝えられています。安土桃山期、天正2年(1574)に、織田信長の朱印状が大川窯に下されました。
この窯の4代目を継承した羽柴与左衛門景度によって作られたもので、底面には与左衛門の銘と、くるみ印がhaはっきりと見られます。底面より脛、胴部をへて肩先へかけての豊かな膨らみ、肩には土を撚って付けた4ヶ所の力強い耳、ぐっと立ち上がった脛から口造りの捻り返しの見事な仕上がりは、作り手の技倆の高さが想像できます。